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最新記事【2009年03月16日】

以上,本稿では,うつ病の具体的な症状・診断基準・治療方法をふまえるとともに,現状の社会・医療制度についても若干の整理を試み,さらにうつ病の社会的位置づけを探る作業を行って参りました。症状・診断基準・治療方法につきましては,あくまで代表的な事例・基本的な知識を紹介したまでに留まっています。少しでも,疑問に思ったことがあれば,本文中でも何度も繰り返したように,医師とのコミュニケーションを第一義に図ってください。願わくば,医師=患者さんとの間だけでなく,家族や大切な人をも交えた【三つ巴のコミュニケーション】を構築して頂きたいものです。

しかしながら,医療の現場では,効果的なうつ病治療の方法が確立しつつある一方で,本論後半で紹介したように,患者さんが積極的にうつ病治療に専念出来るような社会福祉的な受け皿の構築は,未だ不十分な様相を呈しているのが現状です。今現在必要とされているのは,社会全体が持ち続けてきたうつ病に対するイメージを払拭することです。つまり,不可解な「神秘性」を剥ぎ取り,うつ病に明確な「輪郭」を与えてやることです。うつ病は,現在社会の大きな断面であるといっても過言ではありません。うつ病に対して効果的なケアができるような社会が構築されたときに,それはまた同時に,社会の改善をもたらしてくれるものなのです。うつ病の社会的認知に向けてみなさまひとりひとりが,このような認識にたってうつ病,即ち社会の歪みを見つめ直して頂けることを願ってやみません。

さて,それでは重症になると自殺願望・計画・行為へと至ることもあるうつ病について,デュルケムの議論はどの程度参考になるのでしょうか。実は,彼は『自殺論』のなかで,「精神病的状態」における自殺行為についても言及しているのです。しかしながら,ここが重要なのですが,なかでも「憂鬱症的自殺」は,「自殺の非社会的要因」として位置づけられているのです。端的にいうと,自殺へも至りうるうつ病を社会的に捉え,社会的に改善していくための糸口は,見出せなくなっているのです。

もちろん,デュルケムの議論は19世紀フランスの社会背景を契機として構築されたものですから,その展望には時間的にも地域的にも制約があるのは自明です。そっくりそのまま他の時代及び,他の地域の問題に援用するのは早急であるといえましょう。

しかしながら,わが国において社会が発展してきた過程においては,認識論的に西洋近代科学の方法が積極的に輸入されてきたのも事実です。デュルケムの議論も少なからず参照されたことはいうまでもありません。ではここで,いまいちどデュルケムの議論に立ち返りましょう。もし,デュルケムがいう「憂鬱症的自殺」が「自殺の社会的要因」に含まれていたとしたら,どのような展望が見出せるでしょうか。彼の主張に即せば,個々人を掌握できる社会集団の強化によって,また自殺願望をもつもの(うつ病患者さん)がこれに積極的に属することによって,自殺(うつ病)は防げるということでした。

でも,ほんとうにそうでしょうか。むしろ,近代化を標榜して上記の如く強化されてきた社会においてこそ,第I節以来申し上げてきたようなうつ病が蔓延するようになったとも考えられます。うつ病に対する社会的イメージが改善されずに今に至っていることもまた同様に,このような近代を巡る認識論のレベルに根ざした問題として立ち現れてくるのではないでしょうか。「社会を改善する」という認識において,大きなパラダイム転換が21世紀には求められている,と筆者は考えます。このような意味において,うつ病はまさに,社会における「近代性の欺瞞」を明るみに出す可能性を過分に秘めている,「社会の断面」なのです。

うつ病…怖くない病気です

[はじめに]

この度は,【うつ病】をテーマにお話をします。みなさまは,【うつ病】,と聞いてどのようなイメージを抱かれるでしょうか。何か奇異なもの,延いては社会生活にそぐわないものとお考えの方も多いのではないでしょうか。確かに一昔前までは,「うつ病」は,医学的言説においてさえ非常にネガティブな,扱いにくく,確固たる「輪郭」をもたないものとされてきました。「うつ病は治らない」,であるとか「怠惰」など「個人の資質に帰せられる」といった言説が,医師の側からも発せられていたのは事実です。逆にいえば,このように社会全体が「うつ病」に「神秘性」を付与したことは,患者さん自らが「うつ病」を逆手にとり,自身を「特別な心の弱者」として,殻に閉じ込もってしまうような事態をも引き起こしていたといって過言ではないでしょう。

今この現在において,即ち本稿で問題とされるうつ病は,一昔前の「うつ病」とは異なるもの,延いては名称を変えたほうがよいもの,と筆者は考えます。というのは,普段の社会生活を営むうえで,誰しもが避けられない,「心と体の総合的な失調」が件のうつ病だからです。「うつ病は心の風邪」ともいわれますが,うつ病は,誰もが発症する可能性を秘め,また処置の仕様が確立されている病気なのです。今や,このうつ病は,医学の領域において事細かに「輪郭」が与えられている一途にあります。その一方で,社会的なケアという面では,制度的な枠組みが未だ整っていないというのが現状です。この社会的な受け皿を構築するにあたって必要とされるのは,何よりもまず,うつ病に対する社会的認識の改善です。このことを切に感じ,筆を執った次第です。

本文では,具体的にまず第I節で,うつ病発症の契機となりうるような症状の事例を挙げてまいります。続く第II節では,第I節の事例に即して,医学的に定義されたうつ病の「輪郭」を明示します。近年耳にする「うつ病は治る」という言説はいささか誤謬はあるものの,風邪から糖尿病などにいたるまでの病気と同じように,要は病状の程度に応じて処置の難易如何があるということが明らかになるでしょう。第III節では,実際の治療にあたって,診断から治癒までの経過を,患者さん及び,周囲の方々への注意点とともに整理します。第IV節で問題となるのは,うつ病を巡る医療・社会制度の実態です。家族のために,大切な人のために,うつ病患者さんが積極的に医療を受けることができるような受け皿の拡充が,今後の課題として立ち現れてくるでしょう。この課題を達成するうえで不可欠なのは,何よりも社会全体がうつ病に対して無知であってはならないということです。そこで第V節では,うつ病の社会的認知の促進に向けて,同病(に対する認識)の歴史的背景を探ることとします。

なお,【強迫性障害】は,うつ病とは異なる病気です。こちらについても,うつ病と同様の社会的な対応が迫られている領域ですが,本稿で扱うには紙幅の限界がありますので,言及するには至りません。ただし,今やインターネット上でも多くの情報が蓄積されていますので,是非ご覧頂きたいと思います。