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[V. 5] 社会学におけるうつ病(2)…デュルケムとうつ病

さて,それでは重症になると自殺願望・計画・行為へと至ることもあるうつ病について,デュルケムの議論はどの程度参考になるのでしょうか。実は,彼は『自殺論』のなかで,「精神病的状態」における自殺行為についても言及しているのです。しかしながら,ここが重要なのですが,なかでも「憂鬱症的自殺」は,「自殺の非社会的要因」として位置づけられているのです。端的にいうと,自殺へも至りうるうつ病を社会的に捉え,社会的に改善していくための糸口は,見出せなくなっているのです。

もちろん,デュルケムの議論は19世紀フランスの社会背景を契機として構築されたものですから,その展望には時間的にも地域的にも制約があるのは自明です。そっくりそのまま他の時代及び,他の地域の問題に援用するのは早急であるといえましょう。

しかしながら,わが国において社会が発展してきた過程においては,認識論的に西洋近代科学の方法が積極的に輸入されてきたのも事実です。デュルケムの議論も少なからず参照されたことはいうまでもありません。ではここで,いまいちどデュルケムの議論に立ち返りましょう。もし,デュルケムがいう「憂鬱症的自殺」が「自殺の社会的要因」に含まれていたとしたら,どのような展望が見出せるでしょうか。彼の主張に即せば,個々人を掌握できる社会集団の強化によって,また自殺願望をもつもの(うつ病患者さん)がこれに積極的に属することによって,自殺(うつ病)は防げるということでした。

でも,ほんとうにそうでしょうか。むしろ,近代化を標榜して上記の如く強化されてきた社会においてこそ,第I節以来申し上げてきたようなうつ病が蔓延するようになったとも考えられます。うつ病に対する社会的イメージが改善されずに今に至っていることもまた同様に,このような近代を巡る認識論のレベルに根ざした問題として立ち現れてくるのではないでしょうか。「社会を改善する」という認識において,大きなパラダイム転換が21世紀には求められている,と筆者は考えます。このような意味において,うつ病はまさに,社会における「近代性の欺瞞」を明るみに出す可能性を過分に秘めている,「社会の断面」なのです。

         

[V. うつ病の社会的認知に向けて]

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[おわりに] [V. 5] 社会学におけるうつ病(2)…デュルケムとうつ病 [V. 4] 社会学におけるうつ病(1)…デュルケムと『自殺論』 [V. 3] うつ病に関する数値的把握(2)…歴史的推移 [V. 2] うつ病に関する数値的把握(1)…実数と暗数 [V. 1] 導入